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  • 執筆者の写真SMO TOKYO20xx Team

宗教、ウェルビーイング、パーパスの深い関係性

更新日:2023年9月5日

仏教と心理学の立場から現代人がより幸せに生きるヒントを伝える僧侶として活動している井上広法さんに、現代の日本人にとって仏教や宗教とは何か、そして宗教とパーパスの関係性についてうかがいました。


(インタビュー:SMO 齊藤三希子)


<こちらの記事は、SMOタブロイド誌「TOKYO 2020」からの抜粋です。タブロイド誌全編及び最新版の全編は、こちらよりダウンロードいただけます>

 

井上:皆さんにとって、お寺っていつどんな時に行くというイメージがありますか?

齊藤:不幸があった時に行くところ、でしょうか。


井上:そう。つまり、自分や家族の、人生の最後のステージの時にだけ、お寺に行くことが多いですよね。ですが我々は、本当はそこだけではなくて、生きている時にお手伝いできることがたくさんあると思うんです。


齊藤:たとえば、どういうことでしょうか?


井上:近頃でいえば、マインドフルネスや思いやりのある組織づくり、あるいは心理的安全性の高い空間を提供などが話題ですが、それらを導入する時に、仏教の中に引き出しがたくさんあります。我々も、今まで死という最終的な局面にだけ力を注いできたことを反省していて、仏教はもともと、人生をトータルでお手伝いできるはずなんです。


齊藤:もっと日常に仏教を取り入れ、人生のあらゆるところにコンタクトポイントを取ろうとしているのは、仏教界全体のトレンドとして、仏教の存在理由みたいなものが変わりつつあるということなのでしょうか?


井上:“戻りつつある”です。もともとお釈迦さまは「葬式しなさい」とは言ってない。お葬式の意味の変化というのは、日本だけで起こったものなんです。それを全面否定はしませんが、これからはお葬式も含めて、生きている間により豊かに人が生きるためのお手伝いをしたい。


齊藤:「より良く豊かに」とは、具体的にどういうことですか?


井上:一言で言うと、ウェルビーイングですよ。Beingは「在る」という意味。「在り方」っていうのは、氷山の下に沈んでいるようなイメージで、目には見えない。その上に、「やり方」がちょっとだけ出ていて、それがDoingです。さらにその上に、所有したいというHavingがある。そのDoingとHavingを下で支えるのがBeingです。これによって仕事へのモチベーションが変わってくると思うんです。けれど、やり方はちょこっとだけ出ている。つまり、doing。さらにその上に、所有したいというhavingがある。そのdoingとhavingを支えるのがbeingです。これによって仕事へのモチベーションが変わってくると思うんです。イソップ物語に「3人のレンガ職人」という話があります。ある旅人が街を歩くと、男たちがレンガを積んでいた。「何をしているんですか?」と聞くと、1人目は「見ればわかるだろ。レンガを積んでいるんだ。」と。2人目にも同じように聞くと、「レンガを積んで建物を造っているんだ。それでお金をもらって家族を養う。」と。3人目にもまた同じことを聞くと、「俺はこの街に大聖堂を造っているんだ。この大聖堂ができたら、何百年にも渡って、この街の人々の心が和らぐ。そういう仕事を俺はしているんだ。」と。やっていることはみんな同じでも、見えている世界が全く違う。その違いはどこから来るかというと、DoingではなくBeing。つまり、パーパス。我々はそういうところをお手伝いできると考えています。


齊藤:SMOが行なっているコンサルティングも、パーパス=「なぜそれをやるのか」から始めるところは、まさに同じですね。


井上:時代がそうなりましたよね。やり方だけアップデートしても、他社と差別化ができないし、イノベーションは生まれないのではないでしょうか。ブレイクスルーするような発想というものは、在り方「Being」から滲み出てくるのだと思います。


齊藤:わかります。最後の差異の部分ばかりやっていても、イノベーションは起きないですよね。


井上:逆に、イノベーションを潰す魔法の言葉があります。「それ失敗したらどうするの?」「それやって何になるの?」という一言。そういう文化があるところが“心理的安全性が低い場所”と言うんじゃないでしょうか。


齊藤:日本はそういう文化が多い気がしますが、どのように打破していくと良いのでしょうか?


井上:空気を読めないことをKYと言ったりしますが、空気を読み過ぎて、結局何も起こらなかったりする。そういう時に必要なアイテムが、空気以外にもう1個あるんです。それは「冷や水」をかけること。昔からよく言われていますが、日本人は空気を読みつつも時々、冷や水を被ると。そこで、ハッと我に返るんです。


齊藤:どこかのインタビュー記事を拝見させていただきましたが、井上さんは「今」にすごくフォーカスされていますよね。SMOも、ビジョンや将来の姿も大事だけれど、先の見えない現代においては、「今」にフォーカスしたパーパスが、より時代に合っているのではないかと思っています。なぜ井上さんは「今」に注目・集中されているんですか?


井上:「今」しかないからです。たとえば、「帰りの電車がもし〇〇だったら…」と心配すると、もう帰りに心が行ってしまう。体はここにあるのに、心だけは勝手にタイムマシンに乗るんです。そして、未来に行っては不安になる。けれど、体は今にある。それを合致させて、心と体を「今」に寄せていく。この状態をマインドフルネスと言います。「今」になると、頭の中のフィクションがなくなります。そのフィクションに心を奪われずに、現実の「今」にしっかり足をつけている状態というのを、まず第一にしようと。もちろんそれだけではないですが、お坊さんは「今」に心を寄せたコミュニケーションの仕方を、もっと教えていけるのではないかと思うんです。


齊藤:その「今」というのも、仏教から来た教えなのでしょうか?


井上:よりフォーカスを当てているのは仏教だと思います。「今」の「心」って書くと「念」になりますよね?「念」のことを、サンスクリット語で「サティ」と言います。「サティ」を英語に翻訳すると「マインドフルネス」と言うんです。一緒なんです、全部。


齊藤:なるほど…!では、実際に井上さんが「今」に集中することや、「マインドフルネス」の活動をする中で、明らかに変わってきたことはありましたか?


井上:僕自身がいろんな仕事をパラレルにこなしていく中で、そのスイッチングをどのように行うか、つまり切り替えの技術を持つというのはすごく大事だと感じています。


齊藤:では最後に、難しい質問かもしれないですが、宗教という存在自体は何のためにあるのでしょうか?


井上:宗教には分けるという意味があって、分かれてしまう指の宗教派ではなくて、手の甲が本当のスピリチュアルな部分。つまり、手の甲から分化して指があるように、宗教には普遍的な真理があり、そこから指のように分化したものが宗派と言うことができます。さらに私は、これからの現代人に必要なのは、根幹である人のあり方だと思っています。そうなると、指は好みで何だって良い。私はたまたま仏教のお坊さんをやっていますけど、キリスト教もイスラムも、深いところまで突き詰めると言ってることはほとんど一緒で、普遍的な真理があるんです。現代人が持つと良い根幹というのは、言い換えれば、OSです。オペレーションシステムがないのに、アプリケーションをインストールしても意味がないし、アプリをよりよく動かすためにはOSをインストールして時々きちんとアップデートしてあげないといけない。


齊藤:人間というコンピューターを適切にワークさせるために、きちんと良いOSを入れておくべきなのですね。


井上:そうです。一つの超越的な存在を信じるというのは前提にあれど、「今」にきちんと意識を向けていられるのか、それに尽きます。私たちは頭の中で作り出したフィクションの世界に心を奪われることもあるけれど、本当に気がつくのは、自分に意識が向かっている時。心の中で聞こえてくるんです。「自分の存在意義は何か?」と。そのために「自分が今したいことは何だ?」と。そういう自分の声に耳を傾けるような技術と時間が必要で、それがOSだと思っています。そう考えると、マインドフルネスのニーズが高いのも、いろんな意味でマインドフルネスがそれらを兼ね備えているからではないでしょうか。




井上広法(いのうえ・こうぼう)

浄土宗光琳寺副住職。

1979年、宇都宮市生まれ。

Cocokuriチーフプロデューサー、一般社団法人寺子屋ブッダ理事、

hasunoha共同代表。佛教大学で浄土学を専攻したのち、

東京学芸大学で臨床心理学を専攻。マインドフルネスをベースとした

ワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を行ったり、

お坊さんバラエティ番組の企画、TV出演などの活動も。

著書「心理学を学んだお坊さん 幸せに満たされる練習」(永岡書店)。

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