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  • 執筆者の写真smo inc

プロフィットを生み、パーパスを実現し、ずっと残る価値でありたい。異彩を放つヘラルボニーの戦略

更新日:2023年6月2日

知的障害のある兄を持つ双子の松田崇弥さん・文登さんが、障害のある人を社会に順応させるのではなく、彼等の異彩のために順応していけるような社会を夢見て、岩手のアートギャラリーを拠点に活動する福祉実験ユニット「ヘラルボニー」。パーパスドリブンな彼らの目指す世界、そして独自のミッションとは。注目のスタートアップ企業の戦略に迫ります。



インタビュアー:平原 依文(SMO)

写真提供:ヘラルボニー

 

創業期からブレイクスルーまで

平原:まずは、起業されたきっかけをお伺いしたいと思います。

文登さん:最初は副業的に法人化もせずにやっていて、私自身いつのタイミングで会社を立ち上げようか、踏ん切りがついていませんでした。創業の最初のスタートの決断をしたのは崇弥の方で、2018年の4月2日に彼が当時勤めていた会社で、その年の個人の目標を全社員の前で発表する会があったらしいんですけど、「やっぱり福祉の活動をやりたい」というのを、強く自覚して、その日に、あたかもずっと考えていたかのように会社に「辞めま

す」って言ったのがひとつのきっかけです(笑)。踏ん切りのついた崇弥から私に速攻電話で「俺やめるって言ったからお前もやめろ」って言われたんですよね。そこから自分の中でも決断をして、2018年の7月に会社として起こしました。


平原:なるほど、その時崇弥さんはどんなお気持ちだったんですか?

崇弥さん:本当にその瞬間にビビっと「自分の人生かけてやりたいな」っていうのを思いました。文登なしにという選択肢はなくて、「やめよう」と思った時には「文登もやめてもらおう」って同時に思ってるぐらい(笑)。

平原:最初は、商談のアポがなかなか取れない、ドアノックしてもドアが開かれない、という状態が続いたって伺いました。今のヘラルボニーに至るまでブランド作りでどんな苦労があって、そこをどう乗り越えてきましたか?

崇弥さん:創業初期はアイディアだけがあって、「やりたい!」の一心からスタートしていて、正直、ヘラルボニーの活動は一切お金になってないっていう状況で。最初の 8 ヶ月ぐらいはそんな感じでしたかね。 1 年目は私も前職の繋がりでお仕事をもらったりしながら、「俺こんなことやるために仕事辞めたわけじゃないのに」っていうのを毎日思ってました。目指しているものがあるのに、食べていくためには別のことにスキルと時間を裂かなきゃいけない。100% コミットできてない、一番辛かった時期ですね。


文登さん:最初は、資金調達に踏み切らずに、自分たちが食べられれば十分だと考えていたのですが、2 年目の後半から資金調達にも踏み切っているというところでも違いはあると思います。

崇弥さん:そうですね。私たちはそれ自体あまり考えずに起業したところがありましたが、軌道に乗ったことで、資金調達する方向に進めました。建設現場の仮囲いにアートを展示する「仮囲いアートミュージアム」がある程度収益が見込めるようになり、軌道に乗り始めたので、もっと広げていこうと思いました。そこに達するまでの間は楽しかったけど、しんどい時もありましたね。

平原:資金調達に踏み切った一番のきっかけは何かあったんですか?

文登さん:二年目にM&Aの話があり、その時に改めて2人で私たちが本当にやっていきたいことや、どこを目指していくのか本気で考えました。

1 年目から投資を受けて、次のラウンドまでたどり着かずに素晴らしい会社が潰れてしまうような厳しい現状を見ていく中で、もしかしたら私たちの会社も最初から投資に踏み切っていたら、次のラウンドまでたどり着かなかったのではと思ったりするので、すごい大切な期間だったと思います。

平原:今は色々な企業さんとコラボしてる印象があるのですが、始まりは何だったんですか?

崇弥さん:「100年先の世界を豊かにするための実験区」というコンセプトのもと、新しい価値の創造に取り組む活動を行う100BANCHに加入したことから始まりました。100BANCHはパナソニックが次の100年を創り出すための未来創造拠点です。それに私たちも参加していて、当時、パナソニックの方がヘラルボニーに興味を持ってくださり、パナソニックの新しいオフィス内の色々な所にヘラルボニーのアートを採用していただけることが決まりました。オフィス改装の責任者の方が、非常にヘラルボニーの活動に共感してくださって、実績が無いにも関わらず案件を進めてくださいました。それ以降、会社資料の1ページ目にパナソニックのオフィス写真を入れてクライアントへのアピールにしていました。私たちにとってとても大きな一歩だったと思います。

平原:その方にとって何が一番刺さったんですかね?

崇弥さん:私が100BANCHで行われていたピッチイベントに出場してたんですけど、その時は全く実績がないながらも「こんな活動をやろうと思ってます 」というビジネスモデルのフレームワークだけがあった状態でしたが、その熱意に共感していただいたんだと勝手に思っています。あとはアート作品が単純に美しいって思っていただいて。

文登さん:障害は欠落ではなく違いや個性であるとか、私たちは市場を拡張するんじゃなくて、思想を拡張するんだという、そういうパーパスやミッションに共鳴していただいたのが非常に大きいと思います。ヘラルボニーはアートのプロダクトを販売する会社ではなく、思想そのものを伝えて、社会の意識を変えていくのが目的としてあり、会社を創業して今 4 年半ぐらいですけど、本当に最初の時点から全く変わっていない1 つの根幹としてあり続けるものです。僕ら側も、障害のあるアーティストのアート作品を見た時に創業当初はとても感動して[1] 、これは非営利団体の形ではなくて、株式会社という形でも社会に評価してもらえるはずという強い確信を持ってスタートしているんですが、最初の1 年は、それが難しいことだと確信が揺らいでいました。そこを、目的も踏まえた中で共鳴いただき「非常に価値がある活動だよね」って言っていただいたのは非常に大きかったと思います。


株式会社にかけた想い

平原:非営利っていう選択肢もあったと思うんですが、どうしてそこは株式にこだわったのですか?

文登さん:兄が就労支援施設で働いていた時に、一生懸命時間をかけて作った革細工などの商品が、道の駅で 500円にも満たない金額とかで売られていて、しかも福祉施設の職員さんや親御さんが買っている現状を見た時に、色々疑問に思えて。「頑張ったね!」っていう励ましや応援のお金になっていて、継続的に続くお金ではないと思ったんです。

障害のある方が作ったものや障害者アートとなると支援的な文脈に寄りすぎて、「作品」として見られているというより、「障害のある人のアートだから応援しましょう」と、目線が変わっていることに違和感を強く感じたんです。単純に作品として素晴らしいし、障害のあるアーティストが作家として伝わっていくことが、自分の兄の生き方や、障害のある方々への選択肢を増やす新たな可能性になってくると思った時に、その大枠を僕らが実現させていきたいと思ったのがあります。

崇弥さん:先日も新潟で福祉施設でのアート活動をしている方々のカンファレンスがあってそこで言われて嬉しかったのが、「ヘラルボニーさんには福祉っていう後ろ盾がなくて覚悟が決まりきってるからこそ、ここまでいけるんだと思うし本当に尊敬する」と。福祉事業とは、厚生労働省や国の座組みを活用し、障害のある方々を支援するという立場で、お金を頂くという構造が一般的です。その構造を否定する訳ではないですが、株式会社という形で障害のある人たちの才能を世に放つことにチャレンジしていくことの方が自律性も成長性もあるし、色々なものに縛られずに、面白いんじゃないかと思いスタートしました。あとは、株式会社の方が単純に楽しそうだと思ったというのもありますね。

平原:色々なブランドとのコラボをされる上で、ブランディングという意味で重視していること、コラボする上で判断材料がもしあれば教えていただきたいです。

崇弥さん:株式会社なので、会社としてちゃんと営利に繋がるかという視点は、あります。

文登さん:もちろん、ただ売上が上がっていけばいいという訳ではなくて、その会社と組むことによって、環境や労働の部分に問題ないものなのか、もしくは改善されるのかだったり。相手の会社とコラボしてサステナビリティやダイバーシティ云々の、ただの話題作りのワンコンテンツとして消費されない形をどう作っていけるかはすごい意識して、一社ごとにそれぞれ企画を考えて進めます。前提としてヘラルボニーはアートデータをお渡しするだけの会社でなく、企画やプロデュースをする会社なので、その文言や出し方など細かなところにもこだわりを持っています。そして企業の指針にちゃんとヘラルボニーが共創できることを意識しています。

平原:消費じゃなくて、しっかりと仕組み化させるっていうところですね。じゃないと持続的にならない。そのポイントは重要だなと思いました。

文登さん:実際のところ、申し訳ないのですが、現状はお断りをしている企業さんも少なくありません。明確な判断軸を答えられる形を今作り上げようとしています。私たちの大切にしてるものについて、打ち合わせを繰り返し、文言を定めているところです。



ミッション、そしてコーポレートアイデンティティの策定

平原:これまでは文登さんと崇弥さんがいて、そういう共通の感覚や直感でやってきて、小さなチームだったのが、投資も受けて急成長する中でメンバーも増え、30人の壁、100人の壁に立ちはだかる場面もあると思います。大きくなっていくチームに対して、ヘラルボニーさんの理念を浸透させる上で、意識してることだったり、常日頃から取り組まれていること、大変だなと思うこと等はありますか?

崇弥さん:多様なメンバーが参加したくなる、招き入れる取り組みを、社内だけじゃなく、社外でも連携していくのをとても大切にしています。会社の「異彩を、放て。」というミッションの中に、「“普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。」という文言を入れています。この言葉に込めているのは、障害のある人たちだけが異彩を放っていこうということではなく、社員全体が異彩を放つ必要があるし、プロジェクト全体も、アウトプットも異彩を放つ必要があるということです。メンバーの中には、ご家族に障害のある方がいたり、LGBTQの当事者、元スポーツ選手だった方などもいます。自分とは違う価値観を持っていたり経験をされている人たちなので、そういった色々な経験を持つ人の視点が、混ざり合うのはすごく大切にしてます。

偏差値・学歴・前職のキャリアだけではなく「その方の人生が素敵・面白い」と思える人は、積極的に採用していきたいというマインドを持っています。

ご一緒するプロジェクトのクリエーターの方々や、お仕事する方々も「いいアウトプットができるから 」というより、「うちのメンバーにとってすごく刺激になるだろうな」っていう異彩を放つ様な方々とご一緒していくことを、とても大切にしています。 

平原:さきほど話に出た、今決めていらっしゃる文言というのは、「異彩を、放て。」のミッションとどう関わってくるのでしょうか。

崇弥さん:まず、このミッションがどういった過程で生まれたのか?を先に説明をすると、実は私達ヘラルボニーは「障害」という言葉を積極的に使いたいわけじゃないけれど、それを言わないと伝わらないから使っているという側面が強くあります。会社として将来的には障害という言葉自体の呼称とか枠組みを変えていくロビー活動とかもやっていきたいというのがあり、それを表現したいと思った時に、異なる才能の「異才」ではなくて、異なる彩りで「異彩」という風にしたのです。 福祉業界の中の認知を獲得していくことだけではなくて、全く福祉に興味がなかった人に向けての認知の獲得という意味で、障害福祉に興味がない人たちに届けていきたいと思って。そして、異彩を福祉業界だけにとどめるのではなくて、社会に放つようなことをやっていきたいと思い、「異彩を、放て。」というミッションを掲げました。

そしてこれを掲げて 4 年ほど経ち、色々な企業さんとの取り組みも増えていく中で、自分たちとしても大きな軸を会社として持っていきたいなと思い、コーポレートアイデンティティを見直しています。もし自分たちの会社が人だったとしたら、誰が好きで、どんな性格で、どんなことをしてて、どんな話をするのか、どんな友達がいて、というように人格化して、会社全体の指針となるものを作りたいと。今それを一生懸命作ってるという形です。

平原:ダイバーシティが叫ばれるこの時代的にもすごくマッチしたタイミングだったように思うのですが、いかがでしょうか。

崇弥さん:もちろん、自分たちの実力以上に、時代にすごい愛されたなと思っています。だけれども、自分たちが流行り廃りではなくて、そこにあり続けるような価値になっていきたいという意味で、岩手に本社を置いているというのがあります。文化として残り続けたいという意思表示の 1 つですね。皆さんが岩手で連想した時に出てくる小岩井農場とか宮沢賢治とか石川啄木、この中にヘラルボニーも出てくるくらい、私たちが岩手の観光資源の 1 つとなればと。

売り上げを追うだけだったら、消費財をどんどんやっていけばいいし、短期的に売り上げを取ろうと思って、ベンチャーキャピタルとか投資を受けるためのことをやっていこうと思ったらやれるんですけれども、戦略としてあえてやっていない。消費されてしまうし、結局10年、20年、30年後に、価値として残らなくなってくると思います。 

才能が収益を生み、可能性を解き放つ

平原:まさに、サステナブルな組織になるために、ですよね。実は今回、People、Planet、Profitの3つのうち、へラルボニーさんには「People」の枠でインタビューすることになっていたのですが、けっこうProfitに関することがたくさん聞けて、興味深いです。

文登さん:私たちって社会の目線を変えていく会社だと強く思っています。今後はアートが得意な障害のある方だけではなく、様々な障害のある方々の異彩に着目していく、それを社会に放つことができる会社に進化していきたいと思っています。

その中で先ほど言ったように、プロフィット・利益に関して、今までだと国の福祉に頼って生きていく、それはすごい大事で否定しているわけではないのですが、障害のある方達のアートや才能が収益になることを社会にあえて見せることによって、障害のある方達のイメージや可能性をもっと解き放つ、そして自分が自分らしくいられる権利を作れることだと思っています。彼らの才能や作品などの価値観を伝え、本当にありのままの存在で肯定される社会を目指す。なので株式会社として確実に勝ちたいと思っています。

崇弥さん:補足として、プロフィットに関してだと、インパクトスタートアップ協会というのを先月発足しました。今19社の加盟会社がいて、これから大企業も賛同会員になってもらい、スタートアップ付近連盟とのカウンターパートになる団体です。これは経済性と社会性を両輪で回している会社を定義して、国に対して、インパクトスタートアップにお金がちゃんと流れる仕組みを作ってくれという政策提言になっています。

提言としては①国のファンドの組成時に、インパクトスタートアップに優先的にお金を流せる仕組み ②インパクトスタートアップ自体を定義する仕組み ③公共調達、地方自治体との連携、優遇する仕組み、これらの整備といったようなところですね。アメリカだとユニコーンみたいな会社がどんどん生まれてる中で、日本だとユニコーンやインパクトスタートアップが全くない。私たちは、ヘラルボニーだけが良くなっていくよりかは、社会性と経済性の両輪を回していく会社に対して、国としてお金を優先的に流していこうよっていうコミュニティを組成したいなと思っているので、そこ自体にもこれから果敢にチャレンジしていけたらいいなと思います。

文登さん:なので、ただ予算をいただくこと以上に、上場をするという時に、時価総額も含めて、ちゃんと成り立っているという状態、そこが非常にまず大切だと思っています。

崇弥さん:ヘラルボニーのエポスカードについてもアピールさせてください(笑)。これは利用者がカードを使うことで利用額の0.1%が福祉を支えるために寄付されます。大企業がドン!と寄付することも素晴らしいことだと思いますが、自分自身が疲れた時に缶ビールと枝豆買って、エポスカードで払う、そうした何気ない日々の消費社会を前進させることができたら面白いんじゃないか、ということで、丸井さんと始めた取り組みです。

平原:ヘラルボニーが今後大きくなっていくことが、障害のある方にとって、支援を受けて社会に生かされるんじゃなくて、自分たちも社会の一部であることが感じられる、さらには一般の生活者の方も今まで興味のなかった人も巻き込んで、社会全体をを前進させる、というムーブメントになるわけですね。今後の活躍を、そして長く続くご活躍を、期待しています。ありがとうございました。



 


株式会社ヘラルボニー

双子の松田崇弥・文登が、4歳上で重度の知的障害を伴う自閉症の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名にして設立。

「 異彩を、放て。」をミッションに掲げ 、福祉実験ユニットを通じて、福祉領域のアップデートに挑む。松田崇弥・文登は、世界を変える30歳未満の30人 「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」を受賞。



松田 崇弥( まつだ・たかや | 右 )

代表取締役社長。小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。ヘラルボニーのクリエイティブを統括。東京都在住。 双子の弟。

松田 文登( まつだ・ふみと | 左 )

代表取締役副社長。ゼネコン会社で被災地の再建に従事、その後、双子の 松田崇弥と共にへラルボニーを設立。ヘラルボニーの営業を統括。岩手在住。 双子の兄。



<こちらの記事は、SMOタブロイド誌「TOKYO 2023」からの抜粋です。

タブロイド誌全編は、こちらよりダウンロードいただけます>

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